2009/01/12
11:16:45
傷は癒えた。
もう長居は無用だ。
だが、何かが心に引っかかる。
一体何が?
ざわめく心を落ち着けようと、刀を携え庭へ出た。
精神を鎮めるべく、気持を整え柄(つか)に手をかけた。
「何をなさっているのですか!?」
折角心が整い始め、愛刀との呼吸が合うか合わないかで、
琴柱が全てを台無しにした。
その日俺は朝から苛立っていて、最悪のタイミングで琴柱が現れた訳だ。
「まだ、刀など振り回してはお身体に障ります!お部屋へお戻りください!!」
結局、そんな調子で部屋へ押し戻された。
またくどくどと説教を垂れるものだから、苛立ちがピークに達した。
本当に煩(うるさ)い女だな。
「もう傷は塞がっている。先程、親父殿に身体を動かして良いとのお許しを頂いた」
目を見開いて驚いている。
随分と忙(せわ)しなく表情が変わる女だ。
「まさか……だってあれから二週間程です。
あの傷がそんな簡単に……見せて下さい!!」
「おい止せ、危な…い…」
絡んできたと思ったら、足許を取られて畳の上に転がった。
クソっ……身体がなまっているのか?
身包(みぐる)み剥がされる勢いで傷口を確認された。
「え?本当に塞がって……こんな短期間にどうして……」
俺のシャツを捲(めく)ったまま、驚いて固まっている。
「はしたない女だな、お前は……」
「え……?あっ!!」
今更頬を染めるとは。
俺を跨(また)いで馬乗り状態だ。
必死だったということだろうが、随分な女だな。
このお転婆娘、少しからかってやるか。
華奢な女を組み伏すのは造作もないこと。
一気に形勢逆転だった。
「え?あ、あの……」
動揺している。
少し虐めてやろうか……。
「どうした?傷は見事に塞がっている。
だから琴柱……今の俺はこんな事だって出来ちまう」
表情が強張るかと思えば、俺を見据えてキッと睨んでいる。
気の強い女だ。
これ位では薬が効かないと見える。
少し呆れた。
「お前は女だ。少しは自覚をしろ」
そう言っても譲らなかった。
不機嫌そうな顔を俺に向けている。
「何の自覚ですか?傷は確かに塞がっていました。
でもあまり無茶はしないでください!」
全くこの状況が飲み込めていない。
そう言えば、そもそもあんなところで襲われていたのも、
いい娘が夜半に一人フラフラと歩いていたからだ。
俺が助けなけりゃ、今頃どうなっていたことか。
「重いです、いい加減退(の)いて頂けませんか?」
その物言いに、カチンときた。
本来俺は、気の長い方では無かったような気がする。
「世話になっているから、それなりに礼は尽くしてきたつもりだが、
お前は生意気過ぎるな」
俺の顔色が変わったのか、琴柱の表情も変わっていた。
だがどうにも気が治まらなかった。
「お灸を据えてやる。覚悟しろ」
「ええ?お灸って……」
漸(ようや)く自分の立場が理解出来たのか、慌て始めている。
知ったことか。
「お前は女だ。それを教えてやるよ……」
もう長居は無用だ。
だが、何かが心に引っかかる。
一体何が?
ざわめく心を落ち着けようと、刀を携え庭へ出た。
精神を鎮めるべく、気持を整え柄(つか)に手をかけた。
「何をなさっているのですか!?」
折角心が整い始め、愛刀との呼吸が合うか合わないかで、
琴柱が全てを台無しにした。
その日俺は朝から苛立っていて、最悪のタイミングで琴柱が現れた訳だ。
「まだ、刀など振り回してはお身体に障ります!お部屋へお戻りください!!」
結局、そんな調子で部屋へ押し戻された。
またくどくどと説教を垂れるものだから、苛立ちがピークに達した。
本当に煩(うるさ)い女だな。
「もう傷は塞がっている。先程、親父殿に身体を動かして良いとのお許しを頂いた」
目を見開いて驚いている。
随分と忙(せわ)しなく表情が変わる女だ。
「まさか……だってあれから二週間程です。
あの傷がそんな簡単に……見せて下さい!!」
「おい止せ、危な…い…」
絡んできたと思ったら、足許を取られて畳の上に転がった。
クソっ……身体がなまっているのか?
身包(みぐる)み剥がされる勢いで傷口を確認された。
「え?本当に塞がって……こんな短期間にどうして……」
俺のシャツを捲(めく)ったまま、驚いて固まっている。
「はしたない女だな、お前は……」
「え……?あっ!!」
今更頬を染めるとは。
俺を跨(また)いで馬乗り状態だ。
必死だったということだろうが、随分な女だな。
このお転婆娘、少しからかってやるか。
華奢な女を組み伏すのは造作もないこと。
一気に形勢逆転だった。
「え?あ、あの……」
動揺している。
少し虐めてやろうか……。
「どうした?傷は見事に塞がっている。
だから琴柱……今の俺はこんな事だって出来ちまう」
表情が強張るかと思えば、俺を見据えてキッと睨んでいる。
気の強い女だ。
これ位では薬が効かないと見える。
少し呆れた。
「お前は女だ。少しは自覚をしろ」
そう言っても譲らなかった。
不機嫌そうな顔を俺に向けている。
「何の自覚ですか?傷は確かに塞がっていました。
でもあまり無茶はしないでください!」
全くこの状況が飲み込めていない。
そう言えば、そもそもあんなところで襲われていたのも、
いい娘が夜半に一人フラフラと歩いていたからだ。
俺が助けなけりゃ、今頃どうなっていたことか。
「重いです、いい加減退(の)いて頂けませんか?」
その物言いに、カチンときた。
本来俺は、気の長い方では無かったような気がする。
「世話になっているから、それなりに礼は尽くしてきたつもりだが、
お前は生意気過ぎるな」
俺の顔色が変わったのか、琴柱の表情も変わっていた。
だがどうにも気が治まらなかった。
「お灸を据えてやる。覚悟しろ」
「ええ?お灸って……」
漸(ようや)く自分の立場が理解出来たのか、慌て始めている。
知ったことか。
「お前は女だ。それを教えてやるよ……」
この状況と俺の言葉が理解出来たのか、真っ赤になって抵抗し始める。
何だかそれが少しばかり可愛く思えた。
「さて、何から教えてやろうか……」
頬を染め、潤んだ瞳……随分と色っぽい表情になったな。
元々別嬪さんだ。
このまま少しだけ、からかってやろうか。
そうだな、先ずは……。
「お前は男を知ってるか?」
「そ、それ位、私だって!」
その問いに真っ赤になって答えた。
負けず嫌いか……。
頬に触れると滑らかでキメの細かい肌が、まるで吸い付くようで心地いい。
「……じゃあ、遠慮はいらねぇな?」
態(わざ)と低めの声音で告げて琴柱を見下ろし、その反応を窺(うかが)った。
脅えるかと思えば、俺を見つめたまま微動だにしない。
折角だ、ちょっとばかり頂いておくか。
琴柱の唇に指先で軽く触れた。
随分としおらしいままだな?
さっきの威勢はどうした?
このままだと本当に……。
「どうした?随分と大人しいな」
「…………」
為すがままと言うことか?
望んでる?
まさか……。
「いいのか?抵抗しないと本当に……」
頬を染めて視線を俺から外した。
いきなりしおらしくなられて、拍子抜けだ。
だが据え膳食わぬは男の恥。
そっと顔を近付けていくと、琴柱はゆっくり瞳を閉じた。
いいのか、このままで。
本当に?
指先で触れた柔らかな唇の感触が蘇る。
触れた白い肌の滑らかさも。
どれもが皆、随分と扇情的に思えてならない。
俺の気持はどこにある?
いいのか、本当にこのままで。
相手が望んでいるなら、手に入れるのは簡単だ。
だが……。
唇が触れる直前で身を引いた。
世話になっているのに手出しは出来ない。
全く、俺は何をやっている?
閉じられた琴柱の瞳が、再びゆっくりと開いていく。
「少しは効いたか?これに懲りたら、もっと女としての自覚を持つんだな」
そう言ってその身を解放した。
俺が手出しをしないと気付いて飛び起きた。
そして俺に向かって一言。
「土方さんのバカ!!」
そう言って部屋を飛び出して行った。
「バカ?……随分な女だ。ま、俺も俺か」
いつもなら馬鹿呼ばわりされれば、確実に怒ったところだ。
でもなぜかそんな気は失せ、俺は部屋から見える庭園へ視線を移した。
「据え膳食わぬはなんとやら……本当にそうか?」
その日、見覚えのある男がこの家を訪ねて来ていた。
正直驚いた。
あの日、琴柱を襲おうとしていた男だったからだ。
廊下で迷子になり、表玄関に迷い込んだ時、まさに琴柱とその男が対峙していた。
気付いて琴柱が俺を引き合いに出した。
「もう二度と顔を出さないで。私はこの方とお付き合いしているから」
初耳だ。
いつからそんな付き合いになったというんだ?
「そんな……」
目の前の男が弱々しい声でそう口にした。
男のくせに腹に力の無い声だ。
だから怪しげなモノに取り憑かれ、いい様にされる。
「家まで送ると言ってくれたから、安心していたのに。
……いきなりあんな酷いこと!」
不意に違和感を覚え、そっと視線を動かした。
そして俺を掴む琴柱の指先が震えているのに気付く。
気丈な女だと思っていたが、やはり怖かったのだと知れた。
可愛いところもあるじゃねぇか。
その細腕を掴んで背へ庇い、男に向かって口を開いた。
「琴柱は俺のもんだ。いいか?……近付いたら刀の錆にしてくれる」
どうにも通じなかったらしい。
男が間抜け面で理解不能と首を傾げている。
仕方なく、腰に下げた兼定を抜刀して、目の前で男の持ち物を切り捨てて見せた。
ちゃきんと小気味良い音が響く。
切り捨てた後、刀身は鞘へとすぐさま収めた。
一瞬、状況が理解出来なかった男も土間に尻餅をついて、女の様な悲鳴を上げ、
這うようにしてその場を逃げ出した。
琴柱を振り返ると、青ざめて唇を噛んでいた。
まるで何かに耐えるように。
そして俺の視線に気付き
「助けてくれて、ありがとう……」
と弱々しい声で独り言のように呟いた。
「本当は怖かったのだろう?やせ我慢するな……」
震える肩が何だか無性に愛おしく思えた。
「大丈夫か?」
「……大丈…夫です」
強がろうとしても、身体が震えている。
「俺に向かって何を遠慮してる?」
そう言葉をかけると、涙を溜めた瞳で見上げてきた。
もう、堪らなくなり引き寄せた。
華奢な琴柱の身体はすっぽりと、俺の腕に納まる。
こんなにも小さい女だったんだな、お前は。
随分と長い間、封印していた感情が蘇る。
あの頃の俺には決して許されなかった感情。
ただひたすら、無言で琴柱を抱き締めていた。
そうしていても、震えは暫く続いていた。
怖くて仕方なかったと言わんばかりだ。
本当にバカな女だな。
そんなにしてまで、何を装う必要がある?
だが、この体温は心地いい。
子供をあやす様に、回した腕でそっと背中を撫でてみた。
「おかしな女だな、お前は。
……生意気と思えば途端にこうして可愛い女に……。
だが、俺好みのいい女だ……」
そう耳元で囁いた。
いつしか琴柱の震えは止まっていた。
気付けば俺のシャツをクッと握っていて、まだ離れたくないと、
言っているかのようだった。
「なぁ……お付き合いとやらをしてみるか、俺と」
琴柱の身体がピクリと反応した。
そして恐る恐る俺の顔を覗き込む。
表情から何かを探ろうとしているのか?
俺を見つめたまま、
「本当に?」
と、少し不安気に聞いてきた。
「ふ……どこの馬の骨とも分からん俺で、お前が良いと言うなら……」
琴柱の頬が一瞬で見事に染まる。
そして恥ずかしそうに俯いた。
随分と素直な反応だな。
こちらが面食らってしまう。
「……生意気でじゃじゃ馬だけど…いいの?」
「自覚があるのか?ま、俺は荒くれ共を束ねた経験があるからな。
じゃじゃ馬の一頭や二頭、組み伏して言う事を聞かせるなど造作ない。
……女の扱いは俺の得意としているところでもあるしな」
俺の言葉を受け、耳まで真っ赤に染めて唇を尖らせた。
だがすぐさま琴柱は視線を落とし、唇をクッと噛んだ。
「私はズルイ女です。
貴方が記憶を取り戻し、ここを出て行ってしまうのが怖かった。
だからあんな真似を……」
その言葉、すぐに理解出来た。
あの時確かに琴柱は、俺にその身を差し出そうとしていた。
本当に無茶な女だ。
俺を繋ぎ止めようと、その身を捧げて足止めを食わそうとした訳か。
生娘の癖に、随分と度胸が据わっている。
そんな心意気も嫌いじゃない。
「やけに素直だな……素直なお前も中々可愛い」
再び華奢な身体を引き寄せ、グッと抱き締めた。
嗚咽が漏れた。
どうした?
俺はまた、何か言ったか?
「……多分、あの時貴方が助けて下さらなかったら…
…もし、あのまま彼に何かされていたら……私は、舌を噛み切っていました」
ゾクリとした。
間違いなくこれは本音。
初めて怖いと思った。
大切なモノを失う恐怖。
一瞬、琴柱がこの腕をすり抜け、消えてしまうのではないかとゾッとした。
そんな錯覚に陥り、思わず両の腕に力を込めた。
俯いて肩を震わせるその姿は、堪らなく頼りなくて。
負けん気の強い、気丈な女だと感心したりもしたが、
その実、こんな脆い一面も抱えている。
全く……世話の焼ける女だ。
再び琴柱が口を開く。
「……私、嘘をついていました。…本当は男の方を知りません。
……私はまだ、そうした経験はないのです」
それはとうに気付いていた。
だからこそ、簡単に手出しは出来なかった。
「俺も正直に言おう。本当は思い出していた。大方の事は。
……記憶が戻らぬふりをすれば、もう少しお前の傍に居られるような気がしていた」
琴柱が俺を見上げた。
どうしてと言わんばかりに凝視する。
「傷が癒えればここを出て行かぬ訳には……。
いつまでも世話になることは出来ない。
だが、心のどこかで少しでも長く、惚れた女の傍にいたいと思っていた。
そんな甘えが俺を苛つかせていたようだ……」
自然と琴柱の髪に触れ、そして更にその頬に触れた。
「俺の諱(いみな)は……」
そう言いかけた時、琴柱が俺の唇を指でそっと押さえた。
「……知っています。以前、そのお口から直接お聞きしましたから」
聞いた?
俺にか?
いや、話す筈がない。
諱は魂が宿る。
然(そ)う然(そ)う他人に明かすことなど有りはしない。
そもそも親子でさえ諱を口にし合う事は憚(はばか)られる。
俺が困惑していると、琴柱はドキリとする程の微笑みを浮かべ、
俺を意味するその名を口にした。
「……義豊様……」
なぜだか懐かしい。
こんなにも懐かしく心を揺さぶるのはなぜだ?
琴柱……お前は一体……。
「私は会津で貴方とお会いしておりました。……まさか再び時が巡りくるとは……」
「お前は……」
鼓動が逸(はや)る。
そんな、まさか!?
「無事ケガの治療を終え、貴方が戦地に向かわれた後、
私はひたすら、そのご武運を祈っておりました。
どうかご無事で、再び会津へお立ち寄り頂ける日を夢見て」
懐かしい日々が脳裏に蘇る。
俺が最後まで心に留めていた、死のその瞬間まで胸に抱いていた唯一の女。
いや……死しても尚、忘れる事は出来なかった。
「……しかし私は、流行病(はやりやまい)でこの世を去り、
その後、貴方の安否を知る由もなく……」
今、俺の目に映る女は、俺がかつて本気で愛した女。
「……こうして再び、貴方と巡り合う機会を頂きました」
涙で頬を濡らしながら、その温かな眼差しで俺を見つめている。
「ちゃんと覚えております。貴方の諱は義豊様。
……大切な諱を明かして下さった貴方。その意味を私なりに解釈致しました」
ああ、そうだ。
俺が唯一、諱を名乗った女。
「この想いは私だけでは無かったのだと。
貴方も私を好いて下さっていたのだと……そう信じられたのです」
俺は想いを残さず旅立つつもりだった。
これから戦場(いくさば)へ赴く男が、待っていてくれとは言えなかった。
ただ、心は、魂はお前と共に。
そんな想いから、我が諱をお前に告げた。
「なぜその事を……」
「少し前に夢を見たのです。とても信じ難い夢でした。
貴方が『諱』と口にした瞬間に、全ては夢などではなく、真実だと確信出来ました。
そう思えると、色々な事が思い出されていきました」
今お前も、共に過ごしたあの日々を思い出しているのか。
「貴方と過ごしたあの数か月。私の幸せな時間」
そうだ。
俺の幸せな時間でもあった。
「ああ、会津では世話になったな。あの時もお前に介抱してもらった。……懐かしい」
『一つ我が儘を……』と言いかけて、琴柱は俯いた。
俺はじっと琴柱の言葉を待った。
躊躇(ためら)いがちに、その唇がゆっくりと動いた。
「……もし、叶うなら……今世では、どうか私と共に生きては頂けませんか?」
生きる?
お前と共に、この俺がか?
そんなことが許されるのか?
俺はその時、あの約束を思い出していた。
そう、忘れてはならない約束。
俺は再び巡り合うため、肉体を失って尚、祈り続けた。
届け届けと念じながら。
そう一心に願っていた。
「私はまだプロではありません。ですが、現在医師としての勉強をしています。
将来必ずや、貴方のお役に立てることと思います。
それが私の選んだ道なのです。
もう、ただ待っているだけの女ではなく……」
そう言うことか。
全ては繋がる。
「神仏がそのご慈悲で、再び生きることを許してくれたと言うなら、
俺は迷うことなくお前の手を取ろう。
……そして命尽きるその瞬間まで、お前と共に有りたいと願う」
琴柱は俺の胸に顔を埋め、声を上げて泣いた。
子供のようにわんわんと。
その掛け替えの無い、唯一(ゆいつ)無二(むに)の女を、俺は二度と手放すつもりはない。
この手は二度と放さない。
その為に、俺は戻って来た。
ある約束と引き換えに。
いつか散りゆく宿命(さだめ)でも、
それでも尚、後悔はない。
限りある時の中で、お前と過ごす愛しい日々は、
俺の生きた確かな証。
これも、神仏のご慈悲ってやつなのかも知れねぇな、琴柱(ことじ)……。
心を凍らせ、鬼と呼ばれた時期もある。
俺にはそれが必要だった。
人並みの感情を封印し、戦場(いくさば)へと赴いた。
今は暫し、その感情こそを封印しよう。
ただ、俺にはお前の他に守るべき約束がある。
邪気を切り裂き、再びこの身を鬼人と変えて。
お前が共にあるならば、もはや恐れるものはない。
例えこの先何が待っていようとも、
愛刀兼定携えて、
羅刹が如く、生きてゆこう。
それこそが義。
それこそが我が理想。
それこそが我が名の示すところなり――――。
『羅刹が如く』fin
『羅刹(らせつ)』とは人を食う悪鬼のこと。
のちに仏教では守護神(羅刹天)となり、
十二天の一つに数えらるようになった。
また、西南の方位を司る護法善神とも。
護法善神(ごほうぜんじん)とは仏法・仏教徒を守護する神である。
因みに土方歳三の名は諱(いみな)を含めると、
土方歳三義豊(ひじかた としぞう よしとよ)となる。
その文字『義』は様々な意味を持ち、あえて挙げるなら、
正しい道筋、道義と言ったところでしょうか。
また『義』は私利私欲を捨て公に尽くすことをも意味します
不思議なことに、彼の生き方とシンクロします。
『義』の文字に私は『忠義』の意味を強く感じています。
忠義……それは土方さんの墓標のよう。
そんな風に思ってしまうのは、果たして私だけでしょうか……。
何だかそれが少しばかり可愛く思えた。
「さて、何から教えてやろうか……」
頬を染め、潤んだ瞳……随分と色っぽい表情になったな。
元々別嬪さんだ。
このまま少しだけ、からかってやろうか。
そうだな、先ずは……。
「お前は男を知ってるか?」
「そ、それ位、私だって!」
その問いに真っ赤になって答えた。
負けず嫌いか……。
頬に触れると滑らかでキメの細かい肌が、まるで吸い付くようで心地いい。
「……じゃあ、遠慮はいらねぇな?」
態(わざ)と低めの声音で告げて琴柱を見下ろし、その反応を窺(うかが)った。
脅えるかと思えば、俺を見つめたまま微動だにしない。
折角だ、ちょっとばかり頂いておくか。
琴柱の唇に指先で軽く触れた。
随分としおらしいままだな?
さっきの威勢はどうした?
このままだと本当に……。
「どうした?随分と大人しいな」
「…………」
為すがままと言うことか?
望んでる?
まさか……。
「いいのか?抵抗しないと本当に……」
頬を染めて視線を俺から外した。
いきなりしおらしくなられて、拍子抜けだ。
だが据え膳食わぬは男の恥。
そっと顔を近付けていくと、琴柱はゆっくり瞳を閉じた。
いいのか、このままで。
本当に?
指先で触れた柔らかな唇の感触が蘇る。
触れた白い肌の滑らかさも。
どれもが皆、随分と扇情的に思えてならない。
俺の気持はどこにある?
いいのか、本当にこのままで。
相手が望んでいるなら、手に入れるのは簡単だ。
だが……。
唇が触れる直前で身を引いた。
世話になっているのに手出しは出来ない。
全く、俺は何をやっている?
閉じられた琴柱の瞳が、再びゆっくりと開いていく。
「少しは効いたか?これに懲りたら、もっと女としての自覚を持つんだな」
そう言ってその身を解放した。
俺が手出しをしないと気付いて飛び起きた。
そして俺に向かって一言。
「土方さんのバカ!!」
そう言って部屋を飛び出して行った。
「バカ?……随分な女だ。ま、俺も俺か」
いつもなら馬鹿呼ばわりされれば、確実に怒ったところだ。
でもなぜかそんな気は失せ、俺は部屋から見える庭園へ視線を移した。
「据え膳食わぬはなんとやら……本当にそうか?」
その日、見覚えのある男がこの家を訪ねて来ていた。
正直驚いた。
あの日、琴柱を襲おうとしていた男だったからだ。
廊下で迷子になり、表玄関に迷い込んだ時、まさに琴柱とその男が対峙していた。
気付いて琴柱が俺を引き合いに出した。
「もう二度と顔を出さないで。私はこの方とお付き合いしているから」
初耳だ。
いつからそんな付き合いになったというんだ?
「そんな……」
目の前の男が弱々しい声でそう口にした。
男のくせに腹に力の無い声だ。
だから怪しげなモノに取り憑かれ、いい様にされる。
「家まで送ると言ってくれたから、安心していたのに。
……いきなりあんな酷いこと!」
不意に違和感を覚え、そっと視線を動かした。
そして俺を掴む琴柱の指先が震えているのに気付く。
気丈な女だと思っていたが、やはり怖かったのだと知れた。
可愛いところもあるじゃねぇか。
その細腕を掴んで背へ庇い、男に向かって口を開いた。
「琴柱は俺のもんだ。いいか?……近付いたら刀の錆にしてくれる」
どうにも通じなかったらしい。
男が間抜け面で理解不能と首を傾げている。
仕方なく、腰に下げた兼定を抜刀して、目の前で男の持ち物を切り捨てて見せた。
ちゃきんと小気味良い音が響く。
切り捨てた後、刀身は鞘へとすぐさま収めた。
一瞬、状況が理解出来なかった男も土間に尻餅をついて、女の様な悲鳴を上げ、
這うようにしてその場を逃げ出した。
琴柱を振り返ると、青ざめて唇を噛んでいた。
まるで何かに耐えるように。
そして俺の視線に気付き
「助けてくれて、ありがとう……」
と弱々しい声で独り言のように呟いた。
「本当は怖かったのだろう?やせ我慢するな……」
震える肩が何だか無性に愛おしく思えた。
「大丈夫か?」
「……大丈…夫です」
強がろうとしても、身体が震えている。
「俺に向かって何を遠慮してる?」
そう言葉をかけると、涙を溜めた瞳で見上げてきた。
もう、堪らなくなり引き寄せた。
華奢な琴柱の身体はすっぽりと、俺の腕に納まる。
こんなにも小さい女だったんだな、お前は。
随分と長い間、封印していた感情が蘇る。
あの頃の俺には決して許されなかった感情。
ただひたすら、無言で琴柱を抱き締めていた。
そうしていても、震えは暫く続いていた。
怖くて仕方なかったと言わんばかりだ。
本当にバカな女だな。
そんなにしてまで、何を装う必要がある?
だが、この体温は心地いい。
子供をあやす様に、回した腕でそっと背中を撫でてみた。
「おかしな女だな、お前は。
……生意気と思えば途端にこうして可愛い女に……。
だが、俺好みのいい女だ……」
そう耳元で囁いた。
いつしか琴柱の震えは止まっていた。
気付けば俺のシャツをクッと握っていて、まだ離れたくないと、
言っているかのようだった。
「なぁ……お付き合いとやらをしてみるか、俺と」
琴柱の身体がピクリと反応した。
そして恐る恐る俺の顔を覗き込む。
表情から何かを探ろうとしているのか?
俺を見つめたまま、
「本当に?」
と、少し不安気に聞いてきた。
「ふ……どこの馬の骨とも分からん俺で、お前が良いと言うなら……」
琴柱の頬が一瞬で見事に染まる。
そして恥ずかしそうに俯いた。
随分と素直な反応だな。
こちらが面食らってしまう。
「……生意気でじゃじゃ馬だけど…いいの?」
「自覚があるのか?ま、俺は荒くれ共を束ねた経験があるからな。
じゃじゃ馬の一頭や二頭、組み伏して言う事を聞かせるなど造作ない。
……女の扱いは俺の得意としているところでもあるしな」
俺の言葉を受け、耳まで真っ赤に染めて唇を尖らせた。
だがすぐさま琴柱は視線を落とし、唇をクッと噛んだ。
「私はズルイ女です。
貴方が記憶を取り戻し、ここを出て行ってしまうのが怖かった。
だからあんな真似を……」
その言葉、すぐに理解出来た。
あの時確かに琴柱は、俺にその身を差し出そうとしていた。
本当に無茶な女だ。
俺を繋ぎ止めようと、その身を捧げて足止めを食わそうとした訳か。
生娘の癖に、随分と度胸が据わっている。
そんな心意気も嫌いじゃない。
「やけに素直だな……素直なお前も中々可愛い」
再び華奢な身体を引き寄せ、グッと抱き締めた。
嗚咽が漏れた。
どうした?
俺はまた、何か言ったか?
「……多分、あの時貴方が助けて下さらなかったら…
…もし、あのまま彼に何かされていたら……私は、舌を噛み切っていました」
ゾクリとした。
間違いなくこれは本音。
初めて怖いと思った。
大切なモノを失う恐怖。
一瞬、琴柱がこの腕をすり抜け、消えてしまうのではないかとゾッとした。
そんな錯覚に陥り、思わず両の腕に力を込めた。
俯いて肩を震わせるその姿は、堪らなく頼りなくて。
負けん気の強い、気丈な女だと感心したりもしたが、
その実、こんな脆い一面も抱えている。
全く……世話の焼ける女だ。
再び琴柱が口を開く。
「……私、嘘をついていました。…本当は男の方を知りません。
……私はまだ、そうした経験はないのです」
それはとうに気付いていた。
だからこそ、簡単に手出しは出来なかった。
「俺も正直に言おう。本当は思い出していた。大方の事は。
……記憶が戻らぬふりをすれば、もう少しお前の傍に居られるような気がしていた」
琴柱が俺を見上げた。
どうしてと言わんばかりに凝視する。
「傷が癒えればここを出て行かぬ訳には……。
いつまでも世話になることは出来ない。
だが、心のどこかで少しでも長く、惚れた女の傍にいたいと思っていた。
そんな甘えが俺を苛つかせていたようだ……」
自然と琴柱の髪に触れ、そして更にその頬に触れた。
「俺の諱(いみな)は……」
そう言いかけた時、琴柱が俺の唇を指でそっと押さえた。
「……知っています。以前、そのお口から直接お聞きしましたから」
聞いた?
俺にか?
いや、話す筈がない。
諱は魂が宿る。
然(そ)う然(そ)う他人に明かすことなど有りはしない。
そもそも親子でさえ諱を口にし合う事は憚(はばか)られる。
俺が困惑していると、琴柱はドキリとする程の微笑みを浮かべ、
俺を意味するその名を口にした。
「……義豊様……」
なぜだか懐かしい。
こんなにも懐かしく心を揺さぶるのはなぜだ?
琴柱……お前は一体……。
「私は会津で貴方とお会いしておりました。……まさか再び時が巡りくるとは……」
「お前は……」
鼓動が逸(はや)る。
そんな、まさか!?
「無事ケガの治療を終え、貴方が戦地に向かわれた後、
私はひたすら、そのご武運を祈っておりました。
どうかご無事で、再び会津へお立ち寄り頂ける日を夢見て」
懐かしい日々が脳裏に蘇る。
俺が最後まで心に留めていた、死のその瞬間まで胸に抱いていた唯一の女。
いや……死しても尚、忘れる事は出来なかった。
「……しかし私は、流行病(はやりやまい)でこの世を去り、
その後、貴方の安否を知る由もなく……」
今、俺の目に映る女は、俺がかつて本気で愛した女。
「……こうして再び、貴方と巡り合う機会を頂きました」
涙で頬を濡らしながら、その温かな眼差しで俺を見つめている。
「ちゃんと覚えております。貴方の諱は義豊様。
……大切な諱を明かして下さった貴方。その意味を私なりに解釈致しました」
ああ、そうだ。
俺が唯一、諱を名乗った女。
「この想いは私だけでは無かったのだと。
貴方も私を好いて下さっていたのだと……そう信じられたのです」
俺は想いを残さず旅立つつもりだった。
これから戦場(いくさば)へ赴く男が、待っていてくれとは言えなかった。
ただ、心は、魂はお前と共に。
そんな想いから、我が諱をお前に告げた。
「なぜその事を……」
「少し前に夢を見たのです。とても信じ難い夢でした。
貴方が『諱』と口にした瞬間に、全ては夢などではなく、真実だと確信出来ました。
そう思えると、色々な事が思い出されていきました」
今お前も、共に過ごしたあの日々を思い出しているのか。
「貴方と過ごしたあの数か月。私の幸せな時間」
そうだ。
俺の幸せな時間でもあった。
「ああ、会津では世話になったな。あの時もお前に介抱してもらった。……懐かしい」
『一つ我が儘を……』と言いかけて、琴柱は俯いた。
俺はじっと琴柱の言葉を待った。
躊躇(ためら)いがちに、その唇がゆっくりと動いた。
「……もし、叶うなら……今世では、どうか私と共に生きては頂けませんか?」
生きる?
お前と共に、この俺がか?
そんなことが許されるのか?
俺はその時、あの約束を思い出していた。
そう、忘れてはならない約束。
俺は再び巡り合うため、肉体を失って尚、祈り続けた。
届け届けと念じながら。
そう一心に願っていた。
「私はまだプロではありません。ですが、現在医師としての勉強をしています。
将来必ずや、貴方のお役に立てることと思います。
それが私の選んだ道なのです。
もう、ただ待っているだけの女ではなく……」
そう言うことか。
全ては繋がる。
「神仏がそのご慈悲で、再び生きることを許してくれたと言うなら、
俺は迷うことなくお前の手を取ろう。
……そして命尽きるその瞬間まで、お前と共に有りたいと願う」
琴柱は俺の胸に顔を埋め、声を上げて泣いた。
子供のようにわんわんと。
その掛け替えの無い、唯一(ゆいつ)無二(むに)の女を、俺は二度と手放すつもりはない。
この手は二度と放さない。
その為に、俺は戻って来た。
ある約束と引き換えに。
いつか散りゆく宿命(さだめ)でも、
それでも尚、後悔はない。
限りある時の中で、お前と過ごす愛しい日々は、
俺の生きた確かな証。
これも、神仏のご慈悲ってやつなのかも知れねぇな、琴柱(ことじ)……。
心を凍らせ、鬼と呼ばれた時期もある。
俺にはそれが必要だった。
人並みの感情を封印し、戦場(いくさば)へと赴いた。
今は暫し、その感情こそを封印しよう。
ただ、俺にはお前の他に守るべき約束がある。
邪気を切り裂き、再びこの身を鬼人と変えて。
お前が共にあるならば、もはや恐れるものはない。
例えこの先何が待っていようとも、
愛刀兼定携えて、
羅刹が如く、生きてゆこう。
それこそが義。
それこそが我が理想。
それこそが我が名の示すところなり――――。
『羅刹が如く』fin
『羅刹(らせつ)』とは人を食う悪鬼のこと。
のちに仏教では守護神(羅刹天)となり、
十二天の一つに数えらるようになった。
また、西南の方位を司る護法善神とも。
護法善神(ごほうぜんじん)とは仏法・仏教徒を守護する神である。
因みに土方歳三の名は諱(いみな)を含めると、
土方歳三義豊(ひじかた としぞう よしとよ)となる。
その文字『義』は様々な意味を持ち、あえて挙げるなら、
正しい道筋、道義と言ったところでしょうか。
また『義』は私利私欲を捨て公に尽くすことをも意味します
不思議なことに、彼の生き方とシンクロします。
『義』の文字に私は『忠義』の意味を強く感じています。
忠義……それは土方さんの墓標のよう。
そんな風に思ってしまうのは、果たして私だけでしょうか……。
コメント
コメントの投稿






